時空の結合と分散

史書を読むとき、特に古代日本関連の史書を読むときは、時空の結合と分散という事を念頭に置かないといけないと感じた。

よく例として挙げられるのが、日本書記の神功紀、三世紀半ばと思われる史実(三国志からの引用と思われる記述)と4世紀後半の史実と思われる史実(三国史記百済本記からの引用と思われる)がわずか30年足らずの間の出来事として記述されている。
しかし、干支で考えるならば(2周りつまり120年で)整合。

意図的なのか? あるいは実年代の知見がなかった(もちろん当時は、時代をまたぐ共通の年次、つまり西暦という概念はない)ためなのか? 自分には判断できないが、史書の事実として、特に古代日本で編纂された史書(古事記、日本書記)や日本の事を記した魏志倭人伝を含めた海外の史書には、時空の結合と分散があるという前提で読みすすまないと余計に混乱する。

投稿者: 楽庵

白け世代とバブル世代に挟まれた新人類世代の1人です。 2018年に定年を待ちきれず、サラリーマン生活に終止符を打ち隠居生活を始めました。 東京の片隅でのんびりと生活しています。

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